患者取り違え事故に思う
2014年 06月 18日
「兵庫県高砂市の高砂市民病院は17日までに、兵庫県の女性の病理検査で採取した検体を、別の乳がん患者の検体と取り違えたと明らかにした。女性の乳房には良性腫瘍しかなかったが、がんと誤診され、別の病院で不要な手術を受け乳房の一部を切除していた。乳がん患者には「良性腫瘍」と連絡していたという。」
昨日、このニュースを知り
落ち込んでしまった。
医療事故は
患者、医療関係者
両方共に悲しい。
救いたかった人を傷つける
看護師としては
耐えられない。
そして、子宮頸がんの今は患者としてこのニュースを考えた。
病院側の会見で
「生命に関わらない」
「亡くなった訳ではない」
言葉や態度からなんとなくそんなニュアンスが感じられてしまった。
医療は「生命を最優先する」
その感覚が行き過ぎると
「命があれば良いのではないか」
というような事にもなりかねない。
私もそうだったと思う。
命があれば障害が残っても、傷が残っても…
「命があったら贅沢言えない」
患者さんに強要していなかったか?
乳房を切除しても生命には関わらない。
私の子宮も同じ。
でも、だからと言って簡単には切除出来ない。
「命が助かるんだから」
という言葉に傷付いたこともある。
女性として乳房や子宮を喪う事は
生命ならぬ
「性」命に関わる。
人生に関わってくる。
「命があれば良い」
今はそうは思わない。
命も自由も幸せも守るのが医療。
私もICUにいたので命を守る、救うことは大変だということを経験している。
それでも
命+αを守れる医療であって欲しい。
「臓器だけを救う」
「病気だけを治療する」
そう言う感覚、意識を変えなくては
患者さんの人生や価値観、幸せをみれるようにしなくては
患者さんは本当の意味で、救われない。
そして、患者さんは
患者さんなのではなく
病院を出れば社会で生活する人であり
誰かの子供であり
親であり
仕事をもつ人である。
そして、誰かの大切な人である。
昨日、このニュースを知り
落ち込んでしまった。
医療事故は
患者、医療関係者
両方共に悲しい。
救いたかった人を傷つける
看護師としては
耐えられない。
そして、子宮頸がんの今は患者としてこのニュースを考えた。
病院側の会見で
「生命に関わらない」
「亡くなった訳ではない」
言葉や態度からなんとなくそんなニュアンスが感じられてしまった。
医療は「生命を最優先する」
その感覚が行き過ぎると
「命があれば良いのではないか」
というような事にもなりかねない。
私もそうだったと思う。
命があれば障害が残っても、傷が残っても…
「命があったら贅沢言えない」
患者さんに強要していなかったか?
乳房を切除しても生命には関わらない。
私の子宮も同じ。
でも、だからと言って簡単には切除出来ない。
「命が助かるんだから」
という言葉に傷付いたこともある。
女性として乳房や子宮を喪う事は
生命ならぬ
「性」命に関わる。
人生に関わってくる。
「命があれば良い」
今はそうは思わない。
命も自由も幸せも守るのが医療。
私もICUにいたので命を守る、救うことは大変だということを経験している。
それでも
命+αを守れる医療であって欲しい。
「臓器だけを救う」
「病気だけを治療する」
そう言う感覚、意識を変えなくては
患者さんの人生や価値観、幸せをみれるようにしなくては
患者さんは本当の意味で、救われない。
そして、患者さんは
患者さんなのではなく
病院を出れば社会で生活する人であり
誰かの子供であり
親であり
仕事をもつ人である。
そして、誰かの大切な人である。
それを忘れてはいけない。
色んな意味で考えた日だった。
二人の女性の事を思うと
本当に悲しい。
色んな意味で考えた日だった。
二人の女性の事を思うと
本当に悲しい。
by koimoko | 2014-06-18 11:42 | 気のなる事